スペインポルトガル13日間の旅
(2011.2.24ー3.08)

 2011年2月24日から3月8日迄の13日間 阪急トラピックスでスペイン・ポルトガル13日間の旅をした。地図を 見て分かるが、スペイン、ポルトガルは同時に旅すると効率的と思い、この2国同時のツアーを選んだが、トルコの時と同様、 ほとんどバスでの移動だから体力が必要だ。イスラム国のヨーロッパへの侵入を追い返し、コロンブスを新大陸に旅立たせた イサベラ女王に魅力を感じ、その遺跡を訪ねること、両国は15,16世紀の大航海時代をスタートさせ、世界の覇者となり、 巨万の富を得て作った豪勢な建築物を期待した。ツアーのアテンダントは野口さん。

旅の ルートは
 1日目 成田出発13時25分発ミュンヘン経由でバルセロナ21時35分着空港ホテルに宿泊、
 2日目 バルセロ市内観光、タラゴナ経由でバレンシアに泊まり。
 3日目 バレンシアからラマンチャ(ドンキホーテの舞台)経由夕刻グラナダへ
 4日目 グラナダのアルハンブラ宮殿他見学、コルドバ経由セビージャ泊り
 5日目 セビージャの市内観光とエボラを経由してリスボンに泊
 6日目 リスボンの市内観光リスボン2連泊 
 7日目 リスボンからオビドス、ファティマ、バターリャを経由してポルトに泊まり
 8日目 ポルトの歴史地区観光そしてサンティアゴデコンポステーラの見学
 9日目 サンティアゴコンポステーラからアストルガを経由してレオン市内観光しに宿泊
 10日目 レオンからサラマンカを経由してセゴビアに行きさらにマドリッド着マドリッド泊
 11日目 マドリッド市内観光そして古都トレド観光もする
 12日目 12時20分発でマドリッド発でミュンヘン経由
 13日目 11時20分に成田着


スペインポルトガル13日間の旅のルート地図

 イサベラ女王はカスティリア王国の王女として、セゴビアに生まれ、アビラで幽閉された。セゴビア北のバヤドリーで アラゴン王国の王子フェルナンドと結婚し、セゴビアのアルカサルで戴冠式を挙げ王位を宣言し、イスラムのムーア人を 最後の拠点グラナダから追い出し、イベリア半島全体をキリスト教国とした。その後は半狂乱状態の王女ファナとグラナダの アルカサルに住み、フェルナンドと共にグラナダの大聖堂の墓に眠る。
 コロンブスはコルドヴァのアルカサルで初めて両王に会い、新大陸探検を懇願し、セビリアの西パロスから新大陸に出航し、 新大陸の宝物をバルセロナ港に持ち帰った(サンタマリア号の復元船がある)。彼の墓はセビリアの大聖堂にある。トレドには 新大陸の黄金で作られたイサベラの守護神やコロンブスの黄金神像がある。


 バルセロナが都のカタルーニャ地方は、スペインの中でも独自の歴史と文化を持ち、カタルーニャ語が 公用語、スペインからの独立をもくろむほどの所だ。コロンブスが新大陸から土産を携え帰還しイサベラ女王に謁見した場所 だし、ピカソ、ミロ、ガウディを生み出した街。ガウディのサクラダファミリアなどの世界遺産が有名だし、1992年オリン ピックがあった場所だ。
 街中はビルディングのコーナーが切り取られた形になって交差点の見通しが良くなっている。
 まずはガウディの一連の世界遺産の建築物。最初に訪れたのは聖家族教会サクラダファミリア、その前の池端に桜の花と 見間違う、アーモンドの花咲く時期であった。1882年着工で2026年のガウディ没後100年に完成目標で工事中だ。完成すれば、 イエスとマリアの2本の塔を中心に、イエスの「生誕」「受難」「栄光」の3つのファザードとそれぞれに4本ずつの塔、 福音書家に捧げる4本の塔、 合計18本の鐘楼がたてられることになっている。最初は生誕のファザードの前に立ち、右手にハープを奏でる像は日本人 彫刻家の外尾悦郎氏の作品と説明があった。中に入るとそこは清らかで荘厳な天国を思わせる独特なブルー調の空間。 顔を徐々に上げ天井の美しさに震えながら恍惚に浸った。そのあとエレベーターで展望台に上がり、バルセロナの街を一望し、 また建設中のマリアの塔を眺めた(2021年12月完成した)。
 次は同じガウディ作のグエル公園で休み、正面の有名なトカゲと一緒のシャッターに収めた。グエル氏はガウディの良き パトロンであり、理解者であり、手を組んで都市開発事業を行ったのだ。更にバスに乗りガウディが山をモチーフにした 曲線美のカサミラ(ミラ邸)や 海をイメージし青のタイツ、ガラスが印象的なカサバトリョ(バトリョ邸)を確認出来 シャッターした。更には世界遺産カタルーニャ音楽堂を訪ねた。ガウディと同時代に活躍した建築家ドメネク・イ・モンタ ネールの最高傑作。
 この後はオリンピック選手村を改装したレストランでシーフードパエリアの昼食をたらふくご馳走になり、オリンピック 当時のメイン会場だったモンジェイックの丘を経由して、約360k走りバレンシアに向かった。途中ローマ時代人口百万の イベリア半島最大の都市だったタラゴナでラスファレラス水道橋を訪れた。バレンシア到着は20時すぎだった。 


バルセロナの地図

バルセロナの街角、ビルのコーナーがカット

モンタネール設計の世界遺産カタルーニャ音楽堂

ガウジのカサ・ミラ

サクラダファミリアとアーモンドの花

建設中のマリアの塔

正面の生誕のファザード、右上のハープの像は
日本人外尾さんの作品

サクラダファミリアの中の美しさは独特

天井も独特な美しさ

地下にあるガウディの教会スケッチ

グエル公園の正面から、中央にとかげ像

大人気のとかげ像

グエル公園を横から見た

昼食レストランははオリンピック選手村だった

大鍋でパエリア、配膳もどっさり

タラゴナの水道橋

 バレンシアは現在人口80万人スペイン no.3の都市、パエリアの発祥地だがここは宿泊だけで街には寄らなかった。
 バレンシアからは朝ラマンチャに向かって280 km 走った。ラマンチャはドンキホーテの舞台オリーブ畑の中に白い風車 が沢山見えた。ドンキホーテのレストランで記念写真、ラマンチャから328 k走ってグラナダに着いたのは夕刻。
 結局カテドラルも閉まっていたし、王室礼拝堂のイサベル女王とフェルナンデス王の墓がある王室礼拝堂にも入れなかった。
 次は、弟の眞悟がすすめられ夕闇のアルハンブラ宮殿を見るためにタクシーに乗り向かいのアルバイシンの町の丘を訪れた。 アルハンブラだけが夕闇の中に浮かび上がって幻想的な景色が印象的であった。次はタクシーでグラナダのへそとも言うべき イサベル・ラ・カトリカ広場に行って二人の会見の場の像の塔を見上げた。


ラマンチャの風車群

レストラン横でドンキとサンチョになる

バス途中で咲いていたアーモンドの花

バス途中で見えたシェラネバダの山々

グラナダの地図

暗がりのグラナダの大聖堂正面

イサベラと夫の二人が眠る王室礼拝堂前

アルバイシンの高台から見たアルハンブラ宮殿の幻想的な美しさ

イサベル・ラ・カトリカ広場の
イサベラとコロンブス

4日目はグラナダのアルハンブラ宮殿観光。イスラムの最後の王朝ナスル朝の王宮だ。ここは最も古いアルカサバ要塞と王宮 とヘネラリフェ庭園の三つに分かれる。アルカサバにはベラの塔要塞がある。コマレス宮の均整美や、姉妹の間の天井はまばゆい ばかりの美しさだったが、ライオンの中庭は修理中でライオン見れずは残念だった。
 ヘナラリーフェ離宮に行く途中に現在はパラドールのサンフランシスコ修道院があったが、ここはその前はアルカサルで、 イサベラ女王が王女ファナと暮らしたところだ。ヘナラリーフェ離宮さらに坂を上った高所にあった。離宮は花が少なく寂しかった。
   次はグラナダから230kのコルドバ。人口30万人で後ウマイヤ朝の首都だったところで、メスキータが有名。メスキータとはスペイン語で イスラム教寺院という意味で、イスラム教寺院の馬蹄形のアーチが幻想的な美しさを醸し出す。13世紀に内部にキリスト教カテドラル が作られ、二宗教が共存しているのがユニーク。祭壇はカルロス5世の結婚式のために作られた。
 この北側にユダヤ人街があり白い家並に花が飾られている。 迷路のような小径はほっておけないスポット。特にメスキータの鐘楼を奥に臨める所は「花の小径」と呼ばれ絶好の写真 スポット。帰国してから、花の小径からメスキータの鐘楼を眺める油絵を描いた。 この日は真に忙しく、コルドバから140k走り、人口70万のスペイン第4の都市セビージャに宿泊した。 


フェリペ5世宮殿の丸い中庭

昨日タクシーで行った世界遺産アルバイシンの街

アルハンブラのコマレス宮

姉妹の間の天井の美しさ

ライオンの庭は修理中

サンフランシスコ修道院、現在は人気NO1のパラドール

ヘナラリーフェ離宮の庭園で

コルドヴァの地図

コルドヴァローマ橋から右メスキータ左アルカサル

メスキータの中

メスキータの中

ユダヤ人街の花の小路
 
    

   5日目はセビージャ市内観光。フィガロの結婚、カルメン、セビリアの理髪師で有名なオペラ都市。 スペイン広場にはスペイン各県の歴史的場面のタイルで描いたベンチがあり、そのグラナダには有名なイサベラ戦勝の場面 が描かれたタイルがあった。カルメンで有名なたばこ工場(現在はセビージャ大学)の横を通り、次はセビージャの大聖堂。 ここは世界最大級で、因みに世界最大はローマのサンピエトロ大聖堂、 ロンドンのセントピータース寺院が次ぎ、ここはに世界3位の規模。コロンブスの墓もここにあった。大聖堂のヒラルダの塔 からは街を一望でき、左手奥にアルカサルを臨めた。
 セビージャの後は265k走ってポルトガルの世界遺産の街エヴォラへ。これからサンチャゴデコンポステーラまでの3日間は 北上しポルトガルを訪ねる旅だ。エヴォラにはローマ時代の城壁、水道橋があってディアナ神殿がある。奇跡の雄鶏伝説も ありショーウィンドーに飾られていた。イエズス会の神学校であったエヴォラ大学が有名。大聖堂には1584年天正遺欧少年 使節団 が往復とも訪ねた。街の真ん中はジラルド広場で焼き栗を食べた。このあとは130k走ってリスボン泊り。


セビージャの地図

セビージャのスペイン広場

スペイン広場のタイルに勝利のイサベル女王

カルメンの舞台タバコ工場(現セビージャ大学)

セビージャの大聖堂

セビージャ大聖堂の中

セビージャ大聖堂にあるコロンブスの墓

ヒラルダの塔から見たセビージャ市街

ヒラルダの塔から左後方に見えるアルカサル

エヴォラの地図

エヴォラの街と水道橋

奇跡の雄鶏伝説がショーウィンドーに

エヴォラのディアナ神殿と奥に大聖堂

エヴォラの街の中心ジラルド広場

   6日目はリスボンの市内観光まずはベレンの塔、発見のモニュメント、ジェロニモス修道院と続いた。ベレンの塔はリスボン に出入りする船を監視する水上要塞だった。屋上からのテージョ川の風景が美しい。テージョ川を眺める発見のモニュメント はエンリケ航海王子を先頭に約30人の像がある。この広場の中央に世界地図が描かれていて、その向こうにジェロニモス修道 院が見えた。
 ジェロニモス修道院は大航海時代の富を投じた壮麗な修道院。ヴァスコダガマの棺があり、天正少年使節団が立ち寄った記録がある。 マヌエル様式(縄を具象化したデザイン)を代表的する壮麗な修道院。中庭を囲む55m四方の回廊があり、マヌエル様式のアーチが 独特な雰囲気を醸し出す。食堂はアズレージョの壁に囲まれ北側の壁にジェロニモスの肖像画があった。
 午後はリスボンで自由行動だったが、最初に街のど真ん中にあるエレベーターで登る展望台に登ってリスボンの街全体を眺めた。 次に観光客に大人気という黄色い市電に乗って、1500年前のローマ時代に建てられたサンジョルジェ城にのぼり、リスボンの街 を眺め、さらにリスボンの下町を歩くこととした。最も賑やかなアウグスタ通りでランチし、パウロカステラ店でカステラを買った。 更に 我々はテージョ川の対岸にある巨大なクリストレイ像(キリスト像)に船に乗って行ったが、帰りは暗くなりテージョ川の 両岸をつなぐ橋の左岸に光照らされた巨像を確認できた。
 傑作だったのはその夜のファドディナーショーだ。もともと旅行会社トラピックスが催すディナーショーには参加せず、しかし アテンダーの 野口さんを引っ張り出して自分を含む仲間が企画し、トラピックス企画以上のファドディナーショーを楽しめたことだ。 店はClubeDeFadoという有名店でMarioグループのFadoだったが、確かにファドはムードがあってなまめかしい感じがする音楽で、 DVDを1枚購入した。

    

リスボンの地図

ベレンの塔

エンリケ王子先頭の発見のモニュメント

発見のモニュメント広場の世界地図

ジェロニモス修道院南門

ジェロニモス修道院の内陣

バスコダガマの墓

マヌエル様式の回廊

中庭と回廊

食堂のアズレージョ壁とジェロニモスの肖像

サンジェスタの市中エレベーターで展望台へ

アテンダーの野口さんと市街を眺める

坂を走る大人気の市電

サンジョルジュ城からリスボン市街を見る

リスボン一の繁華街アウグスタ通りを歩く

パウロカステラ店でカステラを買った

テージョ川に面したコメルシオ広場

巨大なクリストレイ像と夕闇のテージョ川

Fado Dinner Showの店Clube De Fadoのパンフレット

ファドショーを楽しんだ

  7日目の朝リスボンから80kのオビドスに向かった。オビドスは谷間の真珠と言われる町で13 M 高さの城壁に囲まれて いる石畳の街、イサベル女王以来王妃の直轄地の保養地であった。入り口はポルタ・ダ・ヴィラと言われ、内側のアス レージョが有名。門を抜けて直ぐの階段を上がり城壁の上を歩き街を眺めた。街の真ん中にあるサンタマリア教会は 内壁がアスレージョで覆われている。
 オビドスから70k、1時間でファティマへ。今はカトリック大聖地のひとつ奇跡の町と言われ、30万人も収容できる 大きな大聖堂バシリカがある。第一次世界大戦中の1917年、この地で3人の子供の前に聖母マリアが現れるという奇跡 が起こったのを祈念したもの。広場の前方左手が聖母マリアが現れた場所で、出現の礼拝堂があった。前方中央の高さ 65mのバシリカのてっぺんにイエスキリスト像があった。世界膝で進める道がある。
 ファティマの後は18k30分でバターリャ。パターリャ修道院は世界遺産で、ポルトガルの独立を勝ち取ったことを 聖母マリアに感謝をささげるために作られた。1385年攻め入ってきたカスティーリャ軍をポルトガル軍が打ち破り独立 を守った歴史的な戦いだった。ここにはエンリケ航海王子の墓があった。
パターリャからは180k強北上し暗い中ポルトに到着した。


オビドスの地図

オビドス入口ポルタ・ダ・ヴィラ

オビドスの美しい街を歩く

オビドスの美しい街と囲む城壁

サンタマリア教会

サンタマリア教会内部のアズレージョ壁

30万人収容のファティマのバシリカ、左手にマリアが降り立った教会

ポルトガル独立記念、パターリャの教会

パターリャ教会のマヌエル様式の回廊と中庭

エンリケ航海士の墓

  8日目朝ボルトではボルサ宮前のエンリケ航海王子広場を訪れ、エンリケ航海王子の像を眺め、ボルサ宮の南側にある サンフランシスコ教会の金泥の祭壇を見た(撮影禁止)、エンリケの生家を訪ねた。そしてサンデマンワイン工場を訪問した。 ポルトワインは少し甘い点が好みでないが一本購入した。 次には4時間走ってサンディアゴコンポステーラを訪ねた。ここは9世紀初頭ヤコブの墓が発見されたことで聖地となり 多くの巡礼者が訪れることになった。手前の歓喜の丘でコンポステーラ全景を遠望した。そしていよいよサンチャゴコンポステーラの到着。 サンチャゴはスペイン語でヤコブ、コンポステーラは星の降る里という意味だ。聖堂の顔ともいえる栄光の門の前に立った。 キリストの受刑を刻んだ銀細工の扉が有名で入口の柱のヤコブの像に皆が触りすり減っている。栄光の門から入り、先の方に 正面主祭壇があり、その手前にぶら下がっている大きな香炉も有名。自動車並みの速度で振り回されるという。ヤコブが正面に坐する主祭壇で 手を合わせた後、地下に下り、ヤコブの聖骸が収められている銀の棺を写真に収めた。
 サンディアゴコンポステーラの前の広場は対面して市役所があり、左側にパラドール・サンティアゴデコンポステーラがある。 このパラドールはもともと、病院兼県宿泊所であった。当日の泊まりはこの5星のパラドールだった。


ポルトの地図

前夜の世界遺産の街ポルトの街歩き

サンフランシスコ教会

ボルサ宮とエンリケ像

ドンルイス一世橋

サンデマンワイン工場

歓喜の丘でサンチャゴコンポステーラを遠望。

サンチャゴコンポステーラ

栄光の門、中央にヤコブの像

正面主祭壇、手前大きな香炉

正面主祭壇のヤコブ

ヤコブの聖骸が入った銀製の棺

パラドール

パラドールの中で

   9日目朝サンティアゴから320k走りアストルガへ。アストラがは標高850mと高く、この時雪に振られ寒かった。アストルガの 司教座は19世紀にガウディの設計で再建されたが、城のように見える斬新なデザインであったため教会側と衝突しガウディ は途中で制作をやめたという。ステンドグラスから天井に至るまでガウディの斬新さを感じた。その右にはサンタマリア大聖堂 があり、そのステンドグラスが有名。 またアストルガのはカステラの発祥地としても有名で昼食の時にごちそうになった。
 次は45分でレオン王国の都であったレオンに到着。フランスからのサンチャゴ巡礼ルート4本のいずれもレオンを通る 重要都市で、ゴチック様式の大カテドラルは細工が見事で、太陽の動きにより色合いが変化するステンドグラスで有名。 サンイシドロ教会はロマネスク美術のシスティーナ礼拝堂とも言われ、天井のフレスコ画が素晴らしい。レオン王国の 王の墓もここにある。カサ・デ・ボディーネスはガウディ設計。また旧サンマルコス修道院は現在パラドールになって いる。料理はスモーク牛肉スープが有名。


左がガウジ設計のアストルガの司教座、右が大聖堂

アストルガのはカステラの発祥地

レオンの地図

レオン大聖堂

レオン大聖堂の中

現在はパラドールになっているサンマルコ寺院

サンイシドロ寺院

サンイシドロ寺院の中

   10日目はレオンから235k3時間強走ってサラマンカへ。ここは世界遺産の街で、サラマンカ大学は1218年に 大学ができ新大陸統治の法律が作られた。この大学の古さはロンドン、パリ、ボローニアと並ぶ。現在のサマランカ の人口18万人だが45000人が大学関係という。貝の家は15世紀の巡礼者を守る騎士の家で、外壁には、サンチャゴ巡礼 のシンボルである400ものホタテ貝が埋められている。
 新旧カテドラルは新がゴシック建築、旧がロマネスク建築。  マヨール広場はフェリペ5世が18世紀に建造、スペイン一美しいと言われる。北側の時計台のある建物が市庁舎。
 次には180k2時間半走ってセゴビアへ。  セゴビアはローマ時代の巨大な水道橋が残る古い街。アルカサールが白雪姫の城のモデルディズニーランドのモデル でもあるが、1474年12月エンリケ国王死去の次の日、イザベル王女が機先を制して戴冠式を強行した歴史的な城で、 ここからイサベル女王の数々の偉業がスタートした。 この後100k約一時間半走ってマドリッドへ。当日泊まりはミラシエラスイーツ&スパ五つ星に連泊。 マドリッドはフェリペ2世がトレドからマドリッドへ遷都し、ブルボン朝の贅沢な王宮はフェリペ5世が作った。


城壁に囲まれたサマランカの地図

最古の大学サマランカ大学

ホタテ貝の家

サマランカのマヨール広場

サマランカの大聖堂

セゴビアの地図

セゴビアの水道橋

セゴビアのアルカサル

セゴビア大聖堂

   11日目はマドリッド市内観光まずはガイドの案内でプラド美術館を鑑賞したが撮影禁止。 この後王宮の横の免税店で解散となり我々はトレドのツアーに参加することにしたが、その前の時間を利用して、国立ソフィア王妃 芸術センターでピカソの大作ゲルニカや泣き女、更にダリの作品などがあり、見ごたえがあった。
。 トレドは三方をタホ川に囲まれ16世紀にマドリッドに遷都されるまでの首都で、16世紀で歩みを止めた町といわれる。トレドの高所 に行くのにエレベーターを利用した。その後もまだ細い坂道を上った。象徴的な建物、アルカサルは現在は軍事博物館にな っている。トレドの大聖堂はスペインカトリックの総本山で250年余りかけ1493年に完成。ツアーではまず大聖堂に入り 中には宝物が多かったがすべて撮影禁止が残念だった。次にサントトメ教会でグレコのオルガス伯爵の埋葬を見たがこれも撮影禁止。 トレドは何かつまらない感じ。
 マドリッドではスペイン広場でドンキホーテの像を見ていたら夕暮れになってきた。
、  夜はバル巡りというツアーを申し込んだ。田浦さんは4軒のバルに連れて行ってくれ、スペインを教えてくれ、スペインの味を堪能 させてくれた。
 12日目はマドリッドを昼過ぎに出てミュンヘン経由成田の旅で13日間の旅を締めくくった。


マドリッドの地図

プラド美術館

マドリッドのマヨール広場

マドリッドの王宮

歌劇カルメンの路上パーフォーマンスに遭遇

国立ソフィア王妃芸術センター前

ピカソのゲルニカ

ピカソの泣き女

ダリの絵の前で

トレドの地図

トレドの全景を眺める

トレドの狭い道を上る

トレド大聖堂

スペイン広場のドン・キホーテ

Madridのグランビア通り

田浦さんとバル巡り

プエルたデルソルMadridの紋章,熊とイチゴノキの像

ピクルスと腸詰のバル巡り

Madridは2日間5星のミラシェラスイート&スパ

  スペインポルトガル13日間の旅を終わって

    今回のスペインポルトガルの旅13日間はスペインとポルトガルを同時に訪れたかったこと、更にサンチャゴコンポステーラが組み込み されていたことから トラピックスのツアーを決めた。実にバラエティに富んだ記憶に残る旅であったと思う。
 最初のバルセロナではサクラダファミリアの中の清らかで荘厳な美しさは他の教会では見られないものだったし、ガウディがスペイン 全土に作品を残しているということを知った。グラナダでは、弟のアドバイスに従って、対岸のアルバイシン地区から夕闇に包まれたアルハンブラ宮殿 を見に、個人でタクシーに乗っのは大正解で、その幻想的な美しさに酔ったし、帰りにイザベラとコロンブスが対面する場面の像を見上げることができた のは幸運だった。残念だったのは到着が遅かったので王室礼拝堂に入れずイザベラとフェルナンドの棺を建物外壁のレリーフでしか見れなかったことだ。 リスボンでは大いに遊んだ。街歩きを存分にし、船で対岸のクリストレイを見上げ、夜は旅行仲間自らで組んだファドディナーショーを楽しめた。 マドリッドのバル巡りも美味しかったし楽しかった。さらに安くて味の良いオリーブオイルをアンダルシアを始め、数か所で相当な量を購入した
 今回の旅ではイサベラの女王の偉業を改めて噛みしめた。イザベラがイベリア半島からムーア人を追い出したことでヨーロッパ文化がまとまったもの として成熟できたと思うし、コロンブスを使って新大陸を発見させる英断は大航海時代を導いた。この二つは世界史に大きく刻まれることだが、残念な ことに、今回の旅ではイザベラの足跡を直に感じられる物が少なかったことだ。セゴビアのアルカサルで王位の戴冠式を挙げたが、我々はアルカサルを 外から見ただけ、コルドバのアルカサルでイサベラはコロンブスと対面したが、我々はそのアルカサルに入れなかったし、グラナダの彼女の棺を見ること もできなかった。トレド大聖堂にはイサベラの遺品が多くあると言うが、ここは撮影禁止だったので記憶が殆ど蘇らない。これらはもう一度のスペイン 旅を私に迫らせるものだ。そして、イサベラのふるさとであるバヤドリーなどのかってのカスティリア王国への旅も追加して訪ねたいと思っている。
 もう一つ気づいたことがある。ローマ時代の5賢帝と言われるハドリアヌスやトラヤヌスはアンダルシア出身、哲学者セネカはコルドバ出身だと知り、 ローマ帝国の強さの秘密をまた一つ知ったことだ。


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