湘南アルプスハイキング
(2019.10.24)

  10月24日は 日本製鉄OB会主催の 山歩きを楽しむ会 が企画する「湘南アルプスハイキング」が行われた。 湘南アルプスは大磯駅の北側に位置する小さな山群で、下山後は旧島崎藤村邸を経由して、大磯城山公園にある 旧吉田邸を見学した後打上会を行いお開きとなった。
 主な行程は 大磯駅→高来神社→高麗山→浅間山→湘南平(昼食)→旧島崎藤村邸→統監道バス停12時55分 →旧吉田邸(13時10分)約90分見学→大磯駅近くで懇親会15-16時→解散。



湘南アルプスハイキングの地図



     10時に全員が大磯駅に集合。旧東海道を歩き高来神社の方向に向かった。安藤広重の看板があり足も軽くなった。 高来神社は高麗山の麓にあり、神社脇から高麗山167mに登り始めた。高麗山に11時ころ、浅間山181m、湘南平に11時40分 頃着いた。湘南平からは眼下に平塚の街とその向こうに江ノ島を望むことができ、大磯町、小田原市も望め、まさに 湘南平と呼ぶにふさわしい。ここで昼食をとった。
 下山後の島崎藤村亭には時間余裕なく、ちょい寄りだけで、バス停 統監道 からバス停吉田邸に向かった。 吉田邸ではボランティアガイドが待機していてくれ、詳しい説明を受けられた。入り口ゲイトの兜門に入る前に 「吉田邸は吉田茂の養父が明治17年に別装として建てたものを茂が増改築した。吉田茂は50億円の遺産相続を受けたが、 政治家として私財を使い引退時には殆ど財産0に近かったこと、 奥さんが麻生財閥出身で麻生財閥からかなりの支援を受けたこと、入り口の兜門は現在ベースで3億円投入したこと」 などの説明があった。吉田邸は吉田五十八氏の設計で数寄屋造り風総檜造りで、今日の宮大工により建設された。 平成21年に火事があり、兜門など残してほぼ全焼し、大磯市が10億円で再建し最近一般公開した。吉田茂が20数年 過ごした邸宅で あり、多くの政治家が「大磯参り」し、元西独首相アデナウアー氏、当時の皇太子殿下、国内外の要人 が招かれ、大平首相とカーター大統領の日米首脳会談の場所ともなり、まさに近代政治の表舞台の一つと言える。 最後のガイドの大磯砂丘の話が印象的だった。1885(明治18)年頃に、順天堂を開いた佐藤泰然氏の次子の松本順氏 (初代陸軍軍医総監にも就任した)により国内初の海水浴場が大磯に開設された。またその頃、大磯砂丘が分譲して 売り出された。明治政府高級官僚や旧公家・大名らがこの地に別荘の所有をはじめたのが、近年史における大磯の別荘文化 のはじまり。後藤象二郎、山縣有朋、三菱財閥二代目の岩崎弥之助、大成建設の創業者の大倉喜八郎、旧土佐藩主家当主の山内豊景や、 旧尾張藩主家当主の徳川義禮など、また陸奥宗光、伊藤博文、大隈重信らも邸宅を構えたのです。その中に吉田茂の 養父である吉田健三もいたことで、吉田邸が大磯にあるのです。敷地の南端に吉田茂の像がサンフランシスコの方角を 向き立っていました。


集合場所の大磯駅

歌川広重の看板のある旧東海道

高来神社

高麗山山頂付近

遠く江ノ島、平塚市を見渡せる湘南平

旧島崎藤村邸

吉田茂の看板のある発券所

兜門前で

H21年火事の顛末を記す看板

旧吉田亭全景

吉田茂の書斎

四賢堂が七賢堂となり、吉田茂も合祀された

サンフランシスコを向く吉田茂像


  ・湘南アルプスハイキング 総括:

  湘南アルプスハイキングは、200mに満たない山々であるが、実際は普通の山登りと同等の険しさを 持っていて、ハイキングの名につられて軽い気持ちで来た人もいるのではないかと思うが、兎に角全員無事に 下山できたことは何よりであった。湘南平は、あいにく当日は富士山を拝めなかったが、湘南全体を見渡せる 絶景スポットであることは間違いない。  吉田茂邸は訪れる価値が十二分にあった。ガイド宜しきを得て吉田茂の生き様を目の当たりにでき、明治の 元勲とともに七賢堂に合祀されて尤もな人物と思った。



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