旅順大連の旅
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![]() 大連観光塔 |
![]() 観光等からの夜景 |
![]() 星海公園の華表19.97m |
![]() 二日目朝日本人街からスタート |
![]() 大連港を望む、前方に5倍の新港建設中 |
![]() 昔の満鉄港湾事務所を流用し、大連港湾集団 |
次に旅順に行った。 旅順港は 軍港なので写真撮影が禁止だ。 満鉄がロシア人設計士に作らせたという 旅順駅 は
エキゾチックで 可愛らしい。そして黄色い旧関東軍司令部が今あった。旧大和ホテルは 招待所(ホテルのこと)の
看板になっていた。男装の麗人川島康子の旧宅、赤い旧宅が 見えた。
次は二百三高地を目指した。バスを降りて 10分登った登って二百三高地に到達したが ここには二百三高地の象徴
というべき、 爾霊山( にれいさん) と刻まれた 砲弾型の 記念碑があった。これは 乃木 将軍が作らせ二百三高地
の激戦の戦死者 を弔おうと建てた。ここで日本人が15000人死にロシア人が5000人死んだと言われる。
さらに 乃木大将とステッケルが会見した 水師営 会見所 に行ったが小さな見窄らしい建物に驚いた。そこには日露戦争
関連の写真が掲示されていた。旅順港は入り口97mと狭く水深大で不凍港の天然の要塞、日露攻防の要だった。
![]() ロシア風の旅順駅 |
![]() 旅順の旧ヤマトホテルと露天市場 |
![]() 元関東軍司令部の建物 |
![]() 爾靈山と刻む203高地 |
![]() 水師営会見所 |
![]() 水師営会見所の旅順港の写真 |
次に訪れたのは 昨日夜に訪れた星海広場だ。広大だが、残念なことに霧で 周りはあまり見え
ないが連だこが上がっていた。
次は大連駅前の方に進み、中山広場に行った。ここでは地下鉄工事中であった。中山広場は直径213mの円形広場があり、
市中心部の道路はここから放射状に伸びていて、今も昔も大連の中心である。この広場の周りには旧ヤマトホテルは大連寶館、
旧三菱横浜正金銀行は中国銀行など、日本が租借していた満州時代の建物がそのまま残っていて活用されている。広場近くの
旧満鉄本社も大連鉄道有限公司になっているし、昔の東本願寺とか が残って今も活用されている。
ヤマトホテルは満鉄が経営し、満州で最大のホテルチェーンだった。
旧ヤマトホテルの中には入ると、当時の中山広場の写真が掲示してあった。
![]() 霧で見えない星海広場 |
![]() 大連駅付近金の地下鉄工事 |
中山広場周辺地図
![]() 中山広場、正面は中国銀行(旧三菱横浜正金銀行) |
![]() 中山広場、大連寶館(旧ヤマトホテル) |
![]() 旧ヤマトホテル内掲示の「ホテルから見た昔の中山広場」 |
![]() 水師営会見所 |
次に向かったのは 金州、 ここは古くから遼東半島の中心都市中心地として発達したところ。日清日露戦争
の舞台となり破壊された 旧市街にある 金州副都統衛門に 日清戦争時代従軍記者として 金州入りした正岡子規の句碑がある。
さらには饗水観という中国の寺を訪ねた。財神殿で拝み 金持ちになる 金が 生まれる道を歩いた.
12月2日の晩は連泊のメルキュールホテルに泊まり、翌12月3日帰国した。
![]() 金州副都統衛門 |
![]() 正岡子規の句碑 |
![]() 饗水観の入り口 |
![]() 財神殿 |
![]() 3日間のホテル、メルキュールホテル |
旅順大連の旅 総括:
旅順大連の旅は、日露戦争の遺跡を見ることを目的としてツアー参加した。旅順の地理を現地で感じ、関東軍、満鉄の遺跡を
訪れ、過去の歴史を懐かしみ近く感じた。しかしもっと大きな収穫は、中国人の凄さだ。大連の中山広場で感じた、敵のもので
あろうと「古き」をうまく活用する抜け目なさと同時に、大連港で感じた、気宇壮大な物を作り上げる凄さだった。