例幣使街道の旅
(2022.11.16-18

    新型コロナ禍は収まっていないが、全国旅行支援で安く旅ができる、11月16‐18大田、足利、佐野、栃木の例幣使街道歩き を行った。今回の計画はもともとTさんが計画案を作ったが参加が難しくなり、Kさんが微修正した行程案だ。
 例幣使街道は京都の朝廷が日光の東照宮に幣帛を奉納するために勅使が通った街道で倉賀野宿(高崎)から日光迄を言う。  本来の日程は11月17-18の足利、佐野、栃木の4人の旅であったが、Kさんと私は1日早く出て、清和源氏の子孫の郷である 新田荘を訪ね、徳川氏の系譜をも訪ねる旅を追加した。


例幣使街道の旅の全体地図

   11月16日JR湘南新宿ラインで久喜まで出て、東武伊勢崎線で館林乗換し世良田で相棒Kさんと待ち合わせ。当然同じ電車に のっているものと探したが、Kさん相棒が見つからない。もしかしたら一人旅になるかもしれないと覚悟しつつ、早い電車で 館林迄来ていたKさんとやっと会えた。
 世良田駅で下りたが、世良田は新田荘の一つで、徳川氏発祥の地とされる。世良田駅で降り、駅の近くの徳川氏発祥の碑を 見つけた。そして長楽寺、世良田東照宮をめざした。
 新田荘とは平安時代末期の頃に太田市を中心とした範囲に成立した新田氏の荘園で、その中の代表的な遺跡が「新田庄遺跡」 として国の史跡に指定されている。この遺跡を構成する各遺跡の中の、長楽寺、東照宮、江田館跡、反町館跡、十二所神社、 円福寺 を今回訪ねた。
 徳川家康は 源姓 新田姓スタートの新田義重の子、徳川(世良田)義季の子孫であるとして(疑わしいとの指摘もある) 徳川姓を名乗り、義季が1221年開基した長楽寺(東日本初の禅寺で、以後、世良田氏→松平氏がこの地に居住した)を再興 するよう天海大僧正に命じた。また、長楽寺の隣にある世良田東照宮は徳川家光が天海大僧正に命じて、 2代秀忠が日光に築いた東照宮奥社を移設、本殿は新築して創建。まさに徳川氏に関係する2つの遺跡が隣り合っている。
 そして隣の新田荘歴史資料館に向かった。有名な「新田義貞が稲村ケ崎で黄金の太刀を海に投げ入れると 潮が引き干上がり鎌倉幕府に攻め入り幕府を攻め滅ぼした」という新田義貞の太刀投げ入れの像が資料館前にあった。
 資料館は立派で展示品も充実していて太田市が注力していることが分かったが、入館者は少なかった。またその中の 「源姓 新田足利系図」には新田義貞や足利尊氏の名はあるが、徳川家康までのつながりが書かれていなかったので、受付の 女性に「この資料館の展示の充実ぶりのすばらしさ」と「徳川家康までの系譜が見えない」と話した。そして彼女から家康まで のつながりを示す系図資料をもらい、更にこの地区が歴史公園として整備されていること、さらに「新田荘遺跡」のパンフも貰 った。新田荘遺跡について詳しいことが分かったのは彼女に貰ったパンフのお陰である。
 この後は江田館跡、新田義貞の居館もあったと言われる反町遺跡を訪ね、更に新田家累代の墓がある十二所神社、円福寺を 訪ねた後、老人100円バスに乗り太田駅到着。予約してあった太田駅近のナウリゾートホテルに泊まった。

    

新田荘遺跡の全体地図

徳川発祥の地案内図

世良田駅脇の徳川発祥の碑

徳川の祖新田義季が開基した長楽寺

世良田東照宮

新田義貞像と新田荘歴史資料館

稲村ケ崎の海を干潟にした新田義貞 

新田遺跡の表示

新田義貞,足利尊氏はあるが徳川家康がない系図 

受付の女性に貰った系図(義家、頼朝、義重→ 義季→親氏→家康、義貞、尊氏が見える)

形が残る江田館跡

寺の境内がかっての反町館跡,新田義貞の館跡

新田家累代の墓がある一二所神社、

円福寺

 11月17日、Kさんと私は東武線で太田駅から足利市駅まで行き、別の二人と落ち合い、10時に4人が揃った。 当日の予定は足利見物し足利市駅から福居駅まで1駅乗った後、例幣使街道をフラワーパーク駅まで8k歩き、そこから佐野まで電車で 行き、惣宗寺(佐野厄除大師)を訪ね、タクシーで佐野の宿、古都佐野 旭館に行く行程だ。


足利市の全体地図

 太田市は自動車の町だけあって人口は22万を数えるが、足利市は少なく15万だ。まずは足利市の駅を下りて、 渡良瀬川を渡り街の中心に向かって歩き、太平記館を訪ねた。1991年の大河ドラマ、太平記の主人公、足利尊氏役の真田広之と 沢口靖子のポスターを懐かしく見た。次は足利学校、創建は奈良時代とも言われるが明確ではなく、室町時代に上杉憲実が書籍 を寄進し学校を再興したのは確か。日本最大最古の学校としてフランシスコザビエルが世界に紹介した学校だ。入口で 入学証を貰う趣向が面白い。孔子廟の横の方丈からは論語の素読の声が高らかに聞こえた。
 次に隣の鑁阿寺に向かった。足利氏居館跡地であり、足利2代目の吉兼が創建した。600年の大イチョウなどの紅葉が実に見事 だった。
 織姫神社は足利織物の守護神を祀る1300年の古刹、現在は縁結びの神としても人気。但し229段の階段を上る必要がある。 神社からの景色は足利の街と渡良瀬川を臨み絶好であった。
 この後は再び渡良瀬川を渡り足利市駅から福居駅まで1駅電車に乗った。福居駅から足利フラワーパーク駅までは例幣使街道を 8kほど歩いたが、往時の面影は全くない変哲のない道だった。藤色の階段のあるフラワーパーク駅から再び電車で佐野駅まで 行き、惣宗寺を訪ねた。ここは佐野厄除け大師とも言われ日本3大厄除け大師の一つと言う。日本3大は他にも多いが、、、。 ここに足尾銅山鉱毒事件を訴えた田中正造の墓がある事は予期していなかった。看板を見て彼が帝国議会議員であったこと、 明治天皇に直訴したことを初めて知った。タクシーで当日の宿。古都佐野旭館に着いたのは夕闇の17時だった。


太平記館の大河ドラマ真田広之、沢口靖子

足利学校全体を臨む

足利学校の入口で入学証を貰った

足利学校の方丈で論語の素読体験中でした

足利吉兼建立の鑁阿寺

鑁阿寺多宝塔と600年の大イチョウ見事な紅葉 

229段坂上にある織姫神社

織姫神社の坂上から足利の街を臨む

何の変哲もない例幣使街道を歩く

足利フラワーパーク駅の藤色の階段

惣宗寺(佐野厄除け大師)

厄除け読経中

惣宗寺にある田中正造の墓

古都佐野 旭館

 11月18日は旭館を出て、佐野駅に向かい電車で岩舟駅まで行き、難関の600段階段があるので危惧していた 岩船山高勝寺を訪ねた。駅を下りて私のグーグルマップに従い右手の道を歩き出した。しかしどうもおかしい。資料館があるので そこで聞こうと思ったら資料館は閉鎖されたまま。やはりおかしいと駅の左側に向かって戻りやっとのことで階段を示した行先看板 を見つけた。誤った道を誘導してごめんなさい!グーグルマップは車優先で、歩行専用道路は書いてなかったのだ。
 確かに600段は手すりも低いしきつかったが,無事全員立派な山門をくぐり高勝寺を拝礼できた。その後は岩船駅まで戻り、 電車で栃木駅に向かった。


閉鎖していた岩舟山資料館

岩舟山への階段示す案内図

難関の600段の階段を見下ろす

美しい紅葉と逞しい岩肌の岩舟山を見上げた

高勝寺山門

岩舟山高勝寺

 実は計画では太平下駅から栃木駅までの5kmの例幣使街道を歩くことになっていたが、リーダーKさんの提案で、 変哲もない例幣使街道を歩くより栃木市の観光に時間を割くことになった。栃木駅は印象的な設計の駅だ。但し我々が目指すところ は駅からかなり遠くで、遊覧船も行き来する巴波川(うずまがわ)沿いに北に向かい歩いた。  栃木市は蔵の街として発展したのは、江戸時代に例幣使街道の宿場町となり商都として発展したからで、その原動力は巴波川の舟運 での江戸との交易と言われる。今回訪ねたのは(番号は地図の番号) H塚田歴史伝説館(塚田家は木材回漕問屋)、E横山郷土館 (横山家は麻問屋、金融業)、@岡田記念館(岡田家は 敷地1万m2の旧家、代官職代行、)Kあだち好古館(呉服商)Gとちぎ 山車会館だったが、いずれもかって栄華を極めた豪商たちが白壁土蔵を巴波川の両岸に沿って建てたもの。 この地図の 岡田記念館 の前の道、蚤の市通り、みつわ通、歌麿通りが昔の例幣使街道になる。
 最初に行った塚田歴史伝説館では、三味線ばあさんの弾き語りロボット展示は実に生々しく実物かと思った。他にも蔵芝居、 人形山車など見るもの多く、また広大な庭園には500年のケヤキの大木があった。
 次は横山郷土館に行ったが、横山家は、麻問屋で大儲けし金融業も営んだ。 ここにも広大な日本庭園があった。  岡田記念館は広大な敷地1万m2を有する栃木市屈指の名家。江戸時代には代官職を代行する代官屋敷となった。 翁島にはケヤキの 一枚板で廊下を作るなど用材はすべて銘木を使った別荘がある。代官屋敷、翁島別邸。日本庭園など広大な敷地を利用して種々の記念 撮影ができるロケーション撮影の営業をしていて(値段は20万円超)人気の高いロケ地の一つで映画やテレビなどのロケ地としても知 られているようだ(黒木瞳、伊勢谷友介の写真があった)。
 あだち好古館では崩れそうな建家の中にぎっしりと価値のある絵画類、彫刻類が所狭しと置かれていた。この街は歌麿ゆかりのまち (栃木の豪商たちとの親交があり何度か栃木訪問)として歌麿の肉筆画、と広重の東海道53次全作品収集に興味を持った。しかし、 これだけの芸術的な価値のある貴重品がこのような建物の中にうずもれているのは何とかならないものか?と思った。
 次に行った山車会館では、全ての山車が勢揃いするとちぎ秋まつりの映像を背景に真ん中に神武天皇の山車、右に静御前、左に桃太 郎の山車が並んでいた。その組合わせを理解できなかったが、各山車は各町内が出すものだから致し方ないのでしょう。

 以上で盛り沢山の栃木見物を終わり、3日間にわたる例幣使街道歩きを締めくくった。  


栃木市の地図

栃木駅

巴波川沿いの白壁土蔵と遊覧船

塚田家は材木商と廻船問屋

屋久杉などの銘木

塚田歴史伝説館語りべばあさんは実にリアル

タジカラノ尊の山車

右手が横山郷土館

横山家は麻問屋と金融業

岡田記念館の前で。手前の道は例幣使街道

岡田家代官屋敷

岡田陽子さんはかっての栄華を語った

岡田陽子さん著の本と翁島別邸

翁島別邸の入口

あだち好古館の歌麿肉筆画

あだち好古館の広重の東海道53次

とちぎ山車会館での実演(神武天皇と静御前)


  例幣使街道の旅 総括:

    今回の旅の企画は既に3年前にTさんが企画し、それをKさんがアレンジしたものだ。足利市、栃木市共に見どころ満載なのに、 Kさんと私はそれに太田市の新田荘を追加した。当然大変密度の濃い歩きとなった。例幣使街道は、始め福居駅から足利フラ ワー駅を歩いた時には 変哲もない、趣のない道と思っていたが、栃木市では正に往時繁栄を偲ばせる例幣使街道を満喫で きた。
 今回の旅では、新田の庄と足利で、新田氏、徳川氏、足利氏の系図上のつながりと残された遺跡を満喫できたし、栃木市では 豪商の力の凄さをまざまざと見せつけさせられた。歴史的な楽しみが満載の旅だったと思う。
 特に個人的には、栃木市にまだまだ見残したものが多いことに加え、魅力満載の街と感じた。栃木市は人口 16万人で栃木県第三位の街だが、「住みたい田舎ランキング」の、子育て世代が選ぶランキングで日本一、シニア世代でも第三位 というし、歴史環境、自然環境も魅力たっぷり。大平山の桜の時期、栃木市・渡良瀬バルーンレースの12月頃を狙って再び訪ね たいと思った。


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