富岡・軽井沢・草津の旅
(2015.10.8-10)

  10月8日から2泊3日のドライブでゴルフと温泉を楽しむ旅行に出発した。この旅のきっかけは新聞の広告で、 1泊3食ゴルフ付きで9800円の格安パックを見つけたことだ。格安の理由は食事はすべてゴルフ場のレストランを 利用するからということだった。場所は軽井沢であり、近くに草津温泉や富岡製糸場がある。今春の青春18切符 旅行で計画倒れになったので、ここに立ち寄る1泊2日を計画した。しかしワイフから忙しい旅は嫌との意見があり、 更に一泊をJTBの泊まるんばで 探し、草津の旅館に泊まる2泊3日の旅にした。
  


旅の行程図(練馬→本庄児玉IC→富岡→グリーンプラザ軽井沢→プリンスランドGC
→草津温泉→渋川伊香保IC→練馬)

  本日は自宅を11時に出発し練馬から関越自動車道に乗り、本庄児玉インターで下り、ここからは 一般道とした。高速を使っても時間は30分程度しか変わらず、一般道で富岡製糸場に13時半に到着。入場料1000円を 払って入り驚いたのは平日にも拘らず入場者の多いこと。富岡は明治5年に官営の製糸場としてスタート。当時200台の 繰糸機でも大規模と言われていた時代に、世界の弱小国日本が300台の繰糸機のある富岡工場を建設し、世界の一流 技術者(仏人ブリュナ)をとんでもなく厚遇してまでも、世界を目指し必死に頑張った当時の明治政府の意気込みが伝わって来た。 その後中上川健次郎の三井に民営化され、経営努力が実り、明治末には日本の生糸生産は世界一となり、輸出量も 世界一となった。
  建物の壁がレンガ構造で美しく素晴らしい。丁度当時の機械でカイコの綿から繰糸して細糸を作る実演 を見ることが出来たのは幸運だった。工場は中央に柱のない建物とするために当時珍しいトラス構造となっていて、 そこに数多の繰糸機が並んでいるのは壮観だった。2時間見物し15時半に出発した。


富岡製糸場全体図のチラシ


富岡製糸場入口で

とんでもなく大きい、仏人技術者ブリュナの館

繰糸の実演状況

壮観な工場の繰糸機群

柱のない工場にするトラス構造

  軽井沢には 新日鐵本社勤務時代の保養所に2度程来たことを思い出しつつ軽井沢町を通り過ぎる時に、噴煙が 立ち込め、視界が不明瞭な浅間山を望めた。浅間山の火口周辺4kには噴火警戒レベル2の規制がなされている。 有料道路はその直ぐ外を走り危険であり、我々は有料道路よりも浅間山から離れて安全かつ安い一般道を利用し、 約100分後にホテルグリーンプラザ軽井沢に到着した。結局夕食はゴルフ場で18時40分からとなりそれまではホテル で過ごすことにした。実はこのホテルは軽井沢では有名で、娘達も泊まったことがあるという。実際かなり大規模 できれいで瀟洒な感じのするホテルで、割当の部屋もベッドルームに畳敷が加わった広さで、高級とはいえないが ゆったりしていた。
  夕食前に一風呂浴びて、連絡バスで5分のゴルフ場のレストランに向かった。驚いたのは夕食の内容で、5000円 といってもおかしくない洋食のコース料理だった。連絡バスのお蔭で夕食時の酒も飲め、大満足だった。夕食後に ホテルにあった図書館の本棚に草津に関する記述があり、草津温泉ガイドツアーに是非参加すべきこと、無料の風呂 が数多くあることを知った。翌日朝はプリンスランドゴルフクラブで8時40分スタートのゴルフ。コースは行楽地の ゴルフ場という感じのゴルフ場であるのは致し方ないところだが、何と言っても良いのは、殆どが二人プレイなので ラウンドがスムーズで気持ち良いこと。スコアはともかくとして気持よく楽しめきちんと時間通りのゴルフができた。   ここから草津までは一般道で23K、30分の道のりで15時過ぎに着いた。      


噴煙上げる浅間山

グリーンプラザ軽井沢

プリンスランドゴルフクラブ


  軽井沢もゴルフ場も1200mの高地だったが、草津もほぼ同じ高地で坂が多い。ホテル高松は結構大きな ホテルで風呂も大きく好評だという。ホテルに到着してまずガイドツアーの予約を翌日10時にとった。夕食時間を 18時半からとして、ホテルの風呂は後で入ることにして、外に繰り出すことにした。まずは草津のへそである湯畑 を訪ね、近くにある無料の千代の湯に入った。そして草津名物 湯もみショーを見に熱の湯に行った。熱の湯は、 草津節発祥の地、草津温泉最古の共同風呂「鷲の湯」のオリジナルを湯畑近くに移したものである。
 16時から熱の湯で行われた湯もみショーを見物し湯もみ体験 もして賞状まで貰った。「湯もみ」とは草津節などを唄いながら木の板(湯もみ板と言う)で温泉をかき回し、湯温 を下げるのだ。忙しいが更に賑やかな土産物屋の通りを15分程歩き、大自然の中にある大きな、西の河原露天風呂を 楽しんだ。夕暮れで暗くなりかけたが、 更にフリーの地蔵の湯まで行こうということになり、ホテルに戻ったのは 夕食時間直前だった。
  久し振りの食べきれぬ程の和の御膳に舌鼓をうち、ふうふう言いながら食べ終わると疲れが出て風呂に行くのが 億劫になり、その日はそのまま寝て翌朝早く風呂に行くことにした。


草津温泉全体図

ホテル高松

千代の湯

草津温泉のシンボル 湯畑

熱の湯

草津最古の共同風呂「鷲の湯」跡

湯もみショー

湯もみ体験

西の河原

地蔵の湯



10日朝は6時に起き、ホテル内の風呂にゆっくり入った。朝食もゆっくり食べ、9時半に ホテルをチェックアウトして、湯畑に向かった。湯畑を上から全体を見ようと光泉寺の階段を登って、様々な角 度から写真を撮っていると、赤帽と赤ジャンバーを身につけたガイドの長岐さんが遠くに見えた。10時から2時間 に渡り500円でガイドしてくれるのだ。幸いにもこの日は我々だけが長岐さんを独り占めできた。長岐さんは草津 湯けむりガイドの事務局長であり、TV番組で草津が特集されるといつも顔を出すようだ。本を多読しているようで 実に博識で面白い。



階段を登ると光泉寺

光泉寺の境内から湯畑を見下ろす

  長岐さんの説明の主なポイントは1.草津温泉の源泉についてとその場所への案内 と  2.主に湯畑を中心とした草津の歴史と有名人の関わりあい であったが以下に列記する。

@草津には6つの源泉があること、湯畑源泉が最も大きな源泉として来たが1975年に 白根山中腹に 万代鉱源泉と いう大源泉が見つかってからは草津は大きく発展することになり、多くの旅館に万代鉱源泉から引かれることと なった。6つとは湯畑・地蔵・白旗・煮川・西の河原と万代鉱源泉である。合計で32000l/分の自然湧出量は日本一。 別府温泉は大きい数字を言っているが自然でなくボーリングによるもの。
地蔵の源泉は小高い山の上にあり、かっては寺社領であったため無法地帯で博打場と遊郭があった所。白旗源泉は頼朝が 入ったとされ、この名がついたが? 煮川源泉は源泉ままの49度あり入り難いが穴場。西の河原源泉は凪の湯にあり 49度あり穴場。実は西の河原大露天風呂は西の河原源泉でなく万代鉱源泉を引いている。
A草津温泉のシンボルとなっている湯畑源泉は毎分4000Lの湧出があり、極めて特徴的で、7本の木樋が中央に横たわって いる。高温で湧出する湯に「水」を加えて冷ますのではなく、木樋に流して外気によって冷ます自然冷却方式を採用して いる。更に木樋に湯の花が付着することにより宿に供給するパイプが湯の花で詰まり難くすると共に湯の花を採集して 利用する。以上の現実的な役割よりも、見た目に圧巻という観光の目玉が最大の役割と思える。湯畑の最後にある 湯滝を流れ落ちると、源泉53.9℃の湯も48℃前後まで下がるらしい。そして、パイプを通じて共同浴場や旅館に 運ばれた頃には43℃前後の適温になると言う。

B草津温泉は源泉が豊富だから基本的にどこも源泉掛け流しである。道路の下はパイプが走り冬場のロードヒーティングになる。 源泉の殆どがPH2の酸性湯で1円玉を源泉に浸しておくと、溶けて1週間で無くなる。多くの病に効くが、 ケガをしても酸性の温泉水を掛ければ消毒になるし、大腸菌でも5分〜10分程で全滅する、皮膚病(アトピーなど) や眼病にも効く(特に地蔵の湯)。少し飲むのはいに良いと長岐さんに勧められて飲んだが、後で調べたら飲む のは厳禁、歯のエナメル質が溶け出すと知った。




湯畑を説明する長岐さん

地蔵の湯

白旗の湯

49度の煮川の湯

源泉49度の凪の湯(西の河原源泉)

空いている凪の湯

奥の山は白根山、中腹に万代鉱源泉
道路の下にパイプが走る

湯畑源泉を滝湯に集め、80箇所に送る

銭玉が溶ける(白旗源泉で)

C草津温泉の歴史は、湯畑を取り囲む石柱に刻まれている「草津に歩みし100人」の人物名を見ながら説明があった。 古くは日本武尊命、行基の名もあるが伝説にすぎない。源頼朝が入浴したということで白旗温泉と言われるがこれも 確証はない。恐らく室町時代以降に湯治場として整備されたのだろう。真田氏の所領となり、大谷吉継、前田利家、 小林一茶、・・・などが来訪。利家は死の一年前ここを借りきって大掛かりな湯治をしたとか。
  江戸初期に真田氏が改易されると草津は幕府の直轄領になり、一大温泉地になり、西の有馬、東の草津と称さ れるほど賑わった。徳川将軍が草津の湯を江戸まで運ばせて入浴した名残が、「吉宗お汲上の跡」に見える。
  一茶は江戸の帰りに毎年、俳人であった望雲館の館主を訪ねて泊った。
  佐久間象山は火薬の原料である硫黄を求めて当地に来て、「古久長」に泊まり大きなトイレ部屋を残している。
D明治の頃からの草津温泉の一等旅館として、ホテル望雲、大坂屋、一井、日新館、大東館、山本館が残っている。 日新館が湯畑を所有した頃は湯畑の周りには旅館には風呂は無く、客は外湯した。
  智恵子抄で有名な高村光太郎も知恵子の湯治によく来たが、彼は本来は彫刻家、画家であり、親父の光雲が人物像 は不得手だったので、光雲が依頼された西郷隆盛像や楠公像に相当手を加えたと聞いた。これは長岐さん曰く、光太郎の 手記に書いてあるとのこと。
  望雲館には一茶の他に十返舎一九、高村光太郎・千恵子、斎藤茂吉など多くの文化人が泊まった。



湯畑の石柱に刻まれた名前

石柱に刻まれた名前(左に小林一茶)

八代将軍吉宗汲上の跡

佐久間象山の宿,古久長

ホテル望雲

日新館

山本館(重要文化財)

高村光太郎

E温泉街には、利用及び町による管理配湯が始まってからは多くの小規模源泉が破棄された。
  草津で最も高級旅館はての字屋(一泊5万円)である。一方で手軽なホテルとして、長岐さんから湯畑に 隣接する一等地の小さな旅館(草庵)を紹介された。朝食付きで6000円というが、多くある無料の湯を廻り、 好きな物を外食でき安いでしょうとの触込みだ。
  草津の7000人の住民は風呂を自宅に持たないで共同浴場を利用する。長岐さんの家の近くに町長の家があるが、 町長も共同浴場に入る。そこは井戸端で無い風呂端会議に花が咲くそうだ。

F湯畑の周りは、竹下内閣の時のふるさと創生予算を使って、岡本太郎の設計で「歩道といこいの場」を整備した。 湯畑のひょうたんの形状も床面のレンガの意匠も岡本太郎の貴重な作品。松の湯は足湯となり、湯滝の湯は無く なったが、湯滝の岩にある緑がイデユコゴメと言うコケ類で源泉が緑に見える。因みに、草津温泉の 各源泉には緑色の湯垢のようなものが散見されるが、それはこの温泉藻である。

Gそしてその周りに、5年掛け、10億円掛けた再開発プロジェクトが今年完成し、熱の湯(オリジナルは鷲の湯)、 御座之湯(共同浴場)、湯路広場(大規模トイレ)が誕生した。




最高級の「ての字屋」

湯畑隣接の宿(草庵)を覗く

岡本太郎デザインの遊歩道

松の湯の足湯と岡本太郎のフロア

岡本太郎のタイル作品

滝湯と緑色の苔

手前が白旗源泉、奥正面が御座之湯と

湯路広場(大規模トイレ)


 


  ・富岡・軽井沢・草津の旅 総括:

  旅の計画のきっかけは新聞の格安ゴルフパックであったが、近隣旅行を取り込み、結局は草津温泉をも 満喫できた旅になった。
  ゴルフパックは安かろう悪かろうでない、夕食のコース料理に満足でき、まさにお得パックであった (予約は0570-091-489にする。4.13-11.6までの夏休み除く平日ならOKで9800円)。
  草津温泉でガイドに説明を依頼したのも大正解だった。元々草津温泉の事前勉強せずに旅行に出たのだが、 歴史の長い草津のようなところには面白い話が数多く詰まっている。読書好きで、勉強熱心で多弁な 素晴らしいガイドに会うことが出来、草津に対する興味、愛着が湧いてきた。
  同じ内容で同じ行程で再度楽しみたいと思っている。



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