中国江南の旅
(2013.12.3ー12.10)

  2020年代までに中国の国内総生産(GDP)は米国を抜き、世界1位に躍り出るというのが、OECD、IMFなど 各種機関の中期経済予測である。その後、インドは中国を超える大国になるという予想もある。そこで、 2013年の年末に中国江南の旅8日間と2014年年初にインド5日間の旅をした。

 今回の旅行は急成長が予想されている国の現状がどういう状況なのか?実際この目で見てみたいと 思ったのが最初の動機である。12月3から8日までの江南都市周遊8日間の旅(紹興、安昌、杭州、烏鎮、 無錫、木涜、蘇州、上海)に出た。 中国上海地区訪問は6年前に上海、蘇州、杭州を訪れたことがあるが、それ以外は 初めてだ。
今回の旅行の江南とは揚子江の南ということであり、古くから呉越の国として栄え、呉越同舟、臥薪嘗胆 の諺のある親近感のある地域で、低価格でコストパーフォーマンスの良い人気ツアー。 我々一行33人の現地ガイドはQさん、中国の実情を忌憚なくズケズケと話してくれる 名ガイドだった。更にカメラマンの可愛い27歳のIさんが同行した。
この地に5回目の人、毎月海外旅行する人など海外旅行の多い人、2週間前に同じツアーに来た人もいた。 一行の中には数年前に蘇州日立で勤務した5人組がいて、中国に関しての大先輩に世話になり教えて貰えた のは幸運だった。



中国江南の旅の地図


2013年12月3日18時40分に成田を出発、上海プートン空港着。 夜だが灯りがくすんでいる。pm25のためだろうか?到着後すぐ杭州に向いホテル着は 夜中の1時過ぎ。 2日目の朝、杭州も視界不明なモヤの中で遠望が効かない。PM25のためかと思うが、現地ガイドのQさんは 霧と言う。中国の道路は広く往復8車線は当たり前でさらに2輪車道があり自転車や電動バイク、 電動自転車が走る。pm25対策のため、杭州市当局は自転車を無料で貸しだすそうだ。
2日目の行程は紹興、安昌だ。紹興は紀元前の春秋戦国時代に越の都だった所で越王勾践の臥薪嘗胆 でも有名で、当地の紹興酒も有名だ。また、魯迅と周恩来の生誕地でもある。ここでは魯迅故里を訪ね、 高価な紹興酒を買い、安昌古鎮を散歩した。蘇州に5年間住んだことがある日立の人が言う事に依れば、 ここの紹興酒は間違いない、スーパーで買うものは偽物と思え、ここが信用代として高いのは仕方ない。 しかし10年ものだが350cc2500円とは高い買い物だ。
紹興の南西13kに書聖王羲之の蘭亭序で有名な蘭亭があるが寄ることはできなかった。


杭州市の朝の霧

魯迅故里の入口

魯迅故里内の越劇舞台

安昌古鎮


  3日目は朝から杭州観光。杭州は9-10世紀に呉越国の都となり、14世紀に南宋の都となりマルコポーロに 世界一美しい都と言わしめた所。まずは世界遺産 西湖の辺りにある蘇東坡記念館を訪ねた。 蘇東坡は11世紀最大の詩人であり、書家であったが一方彼は政治家でもあり杭州の市長、副市長の役職で あった5年間に蘇堤を造り、東坡肉(豚の角煮)を考案したことで知られている。西湖は蘇東坡が「西施湖」 と詠んだことから西湖と呼ばれるようになった。信頼のある西冷印社で毛筆の筆を買えた。 無錫ではホテル横に居酒屋があり、かって蘇州日立(今は4000人の工場)で勤務したTさんとOさんが 我々夫婦をホテル横の居酒屋に誘ってくれた。 彼らは2005年まで2−5年蘇州日立の液晶工場に勤務したことがあり、そのOB会の仲間 5人でこのツアーに参加したと聞いたが、Tさんは2週間前にも同じツアーに参加したという。


蘇東坡記念館

蘇東坡の書

西冷印社

烏鎮古鎮

  4日目は無錫観光の日。無錫はかって呉の最初の都で、歴史のある城郭都市だが、今は620万人 の大都市だ。太湖のほとりで寒いが、中国で珍重される太湖石の産地であり、錫を掘り尽したことが名の由縁という。 現地ガイドに美人の陳さんが付いて、無錫は美人の街でも有名と付け加えた。陳さんは美人であるだけで なく歌が上手く無錫旅情を披露してくれた。 陳さんによると日本人観光客は1/10に減っていて陳さんの出番も大幅に減少している。     観光客相手の売物屋が多くつぶれているらしい事がショッピング中止でわかる。
恵山古鎮を散策し范蠡と西施が隠棲した蠡湖公園を訪ね長広渓湿地公園を訪ねた。 午後は期待の三国城観光、三国志演義のテーマパークだ。広大な敷地を見学トレインで回ったり、 周瑜号で琵琶湖の3.5倍もある太湖を遊覧した。映画「Red Cliff」の戦いのミニチュアや再現した呉城を見て 映画を思い出した。更には清名橋で古鎮の景色を眺め、江南きっての名刹、南禅寺を訪ねた時は 17時半過ぎ暗い散策となった。  


蠡湖の景色

三国城 魏と蜀

三国城 呉の海軍

RedCliffミニチュア

清名橋から

南禅寺

5日目は木涜に寄り蘇州に行く日。無錫から木涜へは1時間半の距離。木涜は呉王夫差が西施の ために宮殿を建てた場所で、水路が木材で遮断されたことで木涜の地名と成った、風情ある水郷古鎮で ある。木涜ではたっぷり自由散策時間がありぶらつきながら焼き栗やコマを買った。
  木涜観光中にカメラマンのIさんが急にいなくなった。Iさんは上海でシェアハウス、即ち8人の 共同生活をしていたが(上海は結構家賃が高く一人1坪ほどの広さなのに800元/人*8人という) これはご法度。彼女は警察から立ち退き命令が出され、すぐ新しい住居を探す必要が有ったのだ。
  蘇州は呉王闔閭がBC514年に都としたのが始まりで、水路が多く東洋のベニスと呼ばれている。 蘇州に着いて、自由時間にOさんに蘇州の繁華街を案内してもらい土産に紹興酒を買った。Oさんは かって蘇州にいた時の日本料理屋の店員と再会し我々も紹介してくれた。
  夕刻から運河のナイトクルージング。川べりのイルミネイションが実に美しく(電気代は役所持ち)、 以前昼間に運河クルーズを楽しんだ時と全く違う印象であった。     


木涜古鎮

蘇州の街で

紹興酒を買う

蘇州のナイトクルーズ

6日目は蘇州観光の日。寓園は清代に作られた名園で、蘇州にある7つの世界遺産の中では 小さく入場料も15元と比較的安い。随所に金持の風雅と驕りを見ることができた。続けて対照的な 貧者の暮らしを山塘街に見た。
  寒山寺は地元の人にも大人気の寺で、日曜でもあったので大勢の人でごった返していた。8年ぶりに 「蘇州・・・」の有名な漢詩の碑に再会し鐘を突いた。
    続く虎丘では中に入らなかったがQさんから入口前のビューポイントを教わり格好の写真が撮れた。 
  盤門は呉時代からの城壁の1/8が残る。呉門橋を渡り城壁の写真を色々な角度から撮りまくった。


藕園

寒山寺鐘つき堂

虎丘

盤門


   7日目は上海観光の日。上海は人口2300万人だが、外国人が1000万人、内日本人は5万人と聞いた。
  魯迅記念館、衝山路エリアは旧フランス租界の地で、徐家難天守教堂(上海最大のカトリック教会)、徐光啓 の墓などを訪れた。
虹口エリアは旧日本人租界のあった所であるが、落ち着いた、ゆったりした雰囲気が残っていた。
外灘散策の後、夕刻に豫園に入り豫園商場に行った。夜の豫園商場は初めてだったが思いの外美しく 賑やかだった。ここでは土産の中国服を買うことが出来た。


魯迅紀念館

虹口エリア

外灘からの眺め

豫園の舞台

豫園商城

豫園商城の夜

     

   ・中国江南旅総括:  

  1. 中国の道路は広く往復8車線は当たり前でさらに2輪車道があり自転車や電動バイク、電動自転車が走る。 pm25対策のため、杭州市には無料の貸し自転車が道路に並んでいる。        
  2. 現地ガイドのQさんは多少独善的なところはあるが、国の現状を正しく認識していること、 観光のコツを実によくつかんでいること、我々に質問を投げる形で説明し、我々に興味を起こ させ退屈させない優れたガイドだったと思う。
     Qさんの説明で教えられ興味深く思ったことは
       
    • 呉服とは袖の大きい服で、和服の基になった服。この服の袖は物入れであり特に 賄賂に使われたので 袖の下 という言葉がある。つまり賄賂行為は呉の国から始まったといえる。中国経済は今バブルがひどく不動産 の価格は日本以上に高い位で一般人は収入を全部つぎ込んで 100年払っても払いきれないレベルで、このまま続く 経済とは思えない。中国で土地は公有だが、役人は上も下も国のものを高く貸し付ける政策を取り、袖の下に入れて いる。そして中央の成績を上げるため不動産建設し金持ちが買い価格を釣り上げる。一般にはなかなか届かず、むしろ 農民の方が金がある。 賃貸の公営のアパートを作らず、持ち家政策を取り高く売る。家は内装前で売り内装は自らが行うのが普通。    
    • Qさんが言うには、同じに見える品物でもメイドインジャパンとメイドインチャイナでは大違い、 品質も価格も違う。 ユニクロもチャイナのは品質悪く高い、しかも税関をわざと通したように見せている。 チャイナの象印を買って失敗したそうで、ガイドの丘さんは時々日本で買い物するそうだ。    
    • 高い紹興酒を買った。蘇州に5年間住んだことがあった日立の人が言う事に依れば、 ここの紹興酒は間違いない、 スーパーで買うものは偽物と思え、信用代として高いのだ。対策はどうする?それが常識と思うことだ。しかし10年 ものだが350cc2500円とは高い買い物だ。    
    • 中国の一人子政策・・・二人目をインチキ戸籍する金持ちもいるが、2人の子が OKとなると生活できない人も 多いだろう。中国の子は教育に金をかけるが甘やかされ厳しさ今一歩。英語出来ぬ子が多い。    
    • 中国人は一人なら素晴らしい考えを出すが、2人だと喧嘩し、3人だとめちゃくちゃになる。    
    • 中国の将来は厳しいのではないか?





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