姫街道歩きの旅
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![]() 豊川駅に全員集合! |
![]() 豊川稲荷で旅の安全を祈念 |
![]() 夥しい数の狐に圧倒された狐塚 |
![]() 豊川稲荷の真ん前の店で稲荷寿司を買った |
![]() 当古橋は豊川をまたぐ、昔は渡し船だった |
![]() 本坂峠に向かって歩く |
![]() 本坂峠に着いた! |
![]() 三ヶ日、一面のみかん畑 |
![]() 三ヶ日駅から1駅電車に乗った |
![]() 1日目のホテル、浜名湖レークサイドプラザ |
二日目の朝、ホテルの部屋からの浜名湖の朝日が実に綺麗だった。昨晩のルートを逆戻りし、
ホテルを出て、奥浜名湖駅から三ケ日駅まで電車で戻った。 そして三ヶ日駅からいよいよ歩き開始。
30分ほどして仲間の一人が 財布の入った バッグを忘れていることに気がつき、引き返して探してくると言う。
他の仲間は彼が戻ってくるのを待つことにした。そこはちょうどみかん畑で大勢の人がみかん取りの作業をして
いた。そして彼らから このミカン畑の脇に落ちているみかんについて、どう選別するのか聞いた。
傷ついているもの、特に小さいものを落としているのだそうだ。そしてまだ収穫は始まったばかりでこれから
が忙しく、早く収穫できるものからだんだん遅いものまで ずっと続くのだそうだ。30分ほどすると 忘れ物を
した友人が戻ってきた。見つかったんだそうだ。よかった!よかった!我々も財布忘れの友人のおかげで
ここで待ってる間に 農家の人達と色々な話ができた。物は考えようだ。感謝!、感謝!
さていよいよこれから上りの山登り 本番だ。一番の難所である象鳴き坂のある引佐峠 に向かって出発した。
どうも姫街道は表示がしっかりしてないところがある。代官屋敷跡は 明示が無かったが、間違いないと考え、
そこから右折していよいよ登りに入った。しんどい坂が 小一時間ほど続き象鳴き坂に至った。ここは将軍吉宗
に献上されるベトナム象が通った坂で、悲鳴をあげたことでつけられた名前と言う。象鳴き坂を 越えて
10分位で 引佐(いなさ)峠に着いた。この峠のすぐ先の小引佐峠からは 浜名湖の 素晴らしい景色 が臨めた。
そしてお姫様が休んだという姫岩を通り、気賀宿本陣跡を通り、 気賀駅に着いた。
気賀駅には おんな城主直虎の垂れ幕が 翻っていて、
大河ドラマサマサマの様子が分かった。駅に隣接するラーメン屋で腹ごしらえをした。ここから
龍潭寺は少し離れているので往復タクシーを使うことにした。 タクシーを降りて驚いたことはまさに 龍潭寺
は観光地化して大変な混雑だった 。 龍潭寺の売りは 小堀遠州の庭と 井伊家代々の墓であり、直虎の墓も左側に
小さくあった。 裏手には後醍醐天皇の第4子宗良親王の墓と神社(井伊谷宮)があった。宗良親王はこの地に逃げ
延びてきたということで、この地が室町時代にも頼りにされる場所だったことがわかる。この後はタクシーで 気賀
駅近くに戻った後 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館を訪ねた。この資料館は
浜松市管轄の極めて立派なもので、姫街道、気賀に関する展示と細江から出土した銅鐸が展示されている。見学者
は我々だけでもったいない。直虎のTVドラマでの気賀は水と船の町という印象だったが、昔は多くの水路があったが
埋め立てたそうだ。 直虎、凌雲丸、中村家主人の顔が思い出される。そして今日の宿国民宿舎奥浜名湖に向かった。
このホテルでは思いがけず 夕食に浜名湖のうなぎが添えられ有難かった。
![]() ホテルの部屋から朝日が綺麗! |
![]() 100円みかんが道端に売っている |
![]() 選別して落とされたみかんがいっぱい |
![]() みかんの収穫はこれからが本番 |
![]() 道端で拾ったみかんは十分美味しい |
![]() 表示がないが代官屋敷跡 |
![]() 象が悲鳴を上げた象鳴き坂! |
![]() 引佐峠に着いた! |
![]() 小引佐峠からの浜名湖が美しい |
![]() お姫様が休んだ姫岩 |
![]() 気賀宿本陣跡 |
![]() おんな城主直虎さま様の気賀駅 |
![]() 龍潭寺 |
![]() 大混雑の小堀遠州の庭 |
![]() 井伊家代々の墓、直虎もひっそりと |
![]() 後醍醐天皇の第4子宗良親王の神社(井伊谷宮) |
![]() 姫街道歴史民俗博物館 |
![]() 気賀の縦横の水路、現在は埋め立てられている |
![]() 銅鐸 |
![]() 国民宿舎奥浜名湖 |
三日目は ホテルとうまく 交渉して気賀の関所までホテルのバスで連れて行ってもらった。 実は気賀
の関所は元あったところから 新しく 復元した形で別の場所に移っている。無料だったので入場時刻の9時より前
に勝手に入場させてもらったが、早めに来た係の人がパンフレットを配ってくれた。そしてここから本日の姫街道
歩きを始めた。 姫様行列や旅人の送迎場所だった、曲り松には1時間程で着いた。この辺の姫街道はかなり 松並木
が残っている。さらに さらに後1時間で姫街道車庫で休んだがこの辺が信玄と信長・家康が戦った三方ヶ原の戦場というが、
今全く面影はない。そしてさらに1時間半後ほど歩いて 中華料理屋を見つけここで昼食とした。ここは近くに
自動車学校前という駅があるので、ここで一応の街道歩き終点にしようとの話になって3人は帰路についた。
私はリーダーと2人で、 姫街道と東海道の合流点まで歩くことにした。
ここまでは良かったが、中華料理屋の女将が「スマホ忘れでないですか?」と届けてくれた。確かに見覚えのある、
仲間のスマホだ。確か「スマホを落としただけなのに」という映画を見て「この映画、勧めないよ」と言っていた人だ。
さて、二人で合流点まで歩き始めたが、道がかなり地図と違っていて、何度か道に迷った。合流点かと思う道も
違っていたり苦戦したが、そして何とかここらしいところを見つけた。しかし 天竜川駅の近くの姫街道まで来て、
看板を見つけ、それをしげしげと見たところ、我々は姫街道と東海道の合流点に至っていないことが判明した。
さて、ここで考えた。今日このまま帰路につくか?それとも合流点まで引き返して行くか? 結論は1時間以上ロス
時間になるが、合流点を目指してまで引き返そうということになった。ところがこの合流点の明示も しっかりして
いなくて、付近の人に聞いたところ、「以前姫街道起点を明示するものがあった。しかし昔のことだから無いかもしれない」
と言う。いずれにしろ合流点、安間の信号を見つけ、ここだと確信できたので一応満足することにした。
そして無駄にした1時間があったために 最終的に浜松からの新幹線は1列車遅れてしまったが、その後の列
車待ち合わせがよく30分遅れで横浜の家に帰宅できた。
![]() オープン前に入る気賀の関所 |
![]() 気賀の関所も直虎 |
![]() みかんが美味しい |
![]() 曲がり松 |
![]() 姫街道には松並木がよく残っている |
![]() 姫街道車庫、昔は三方原の戦場 |
![]() 自動車学校前駅で別れた |
![]() 姫街道の起点と間違ったところ |
東海道から姫街道の起点の地図
![]() 安間、姫街道の起点! |
![]() 天竜川駅 |
・姫街道歩きの旅 総括:
旅歩きの前の姫街道は 「おんな城主 直虎」のTVドラマの地域で 知っているぐらいであったが、実際に歩いてみて
ここが 古い歴史を持った地域だと知った。銅鐸が 多く出土されている 弥生時代からの歴史があり、姫街道は奈良平安の
時代から 重要な道路であったからこそ、空海、嵯峨天皇と共に三筆と称された橘逸勢が 謀反の疑いで護送の途中に亡く
なった地域でもあり、また後醍醐天皇の子の宗良親王が落ち延びた所でもあった。直虎以前の歴史を知ることによりこの旅
が 一層楽しくなった。勿論、気賀の街を歩くと直虎、中村屋の主人、そして龍雲丸のにぎやかな顔が ちらついて来て、
それが旅を一層楽しいものにしてくれた。
天候不順な昨今にもかかわらず天気にも恵まれたのもありがたかったし、もう一つ特筆すべきは この地区が日本一
のみかんの産地だったということであり 道すがらみかんを水代わりに食べながら 美味しい旅ができたことだ。
最後に付け加えると今回の旅でもまたハプニングがあった。仲間の一人が 財布の入ったショルダー バッグを置き忘れて
きたり、また別の仲間がスマホをレストランに置き忘れてきたり・・・。おかげで 他の仲間はお詫びのビールをご馳走になっ
て有難かった。しかし、またいつ自分が奢るハメになるかわからない。歳を重ねる度に用心も重ねること!!皆みな注意しよう!!
いつも色々なことがあって 楽しい旅、いつまでも続けたいものである。